名称 |
徳島駅前一番町商店会
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代表者名 |
会長 齋藤 陽子
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所在地 |
徳島市八百屋町2丁目16
TEL(088)622-3110 FAX(088)622-3172
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設立 |
昭和24年町内会として発足
昭和40年、昭和59年改組する
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組合員数 |
45軒
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役員 |
理事13名
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内訳 |
会長 1名
副会長 2名
会計 1名
班長 4名
会計監査 2名
広報 3名
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地域 |
徳島市一番町2丁目 3丁目 及び 徳島市寺島
本町東3丁目の一部 並びに 徳島市八百屋町2丁目の一部
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シンボルカラー |
高貴の「紫」、信頼の「青」、情熱の「赤」
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沿革 |
昭和24年 一番町々内会発足
昭和40年 一番町商店会に改組(任意組合)
昭和59年 徳島駅前一番町商店街振興組合設立
〃 カラー舗装・街路灯・モニュメント敷設
平成2年 電線地中埋設(キャブ工事)完成
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商店街の立地及び特徴 |
徳島駅前に位置し、近くに「徳島そごう」「クレメント徳島」等の大型店があり、「ホテルサンルート徳島」「ダイワロイネットホテル徳島駅前」などのオープンに伴い、人通りが増加。近隣に事業所が多いため、飲食店が多いのが特徴。
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一番町の歴史 |
当商店街の位置する内町地区(別名ひょうたん島)は、蜂須賀家政公(蜂須賀小六正勝の子)が渭山(城山)に徳島城を築城したことにより、政治、経済、文化の中心となりました。一番町は、古くは紙屋町と呼ばれ、城下の商業の中心でした。以来、戦前までその状態が続きましたが、徳島市も例に漏れず、大空襲で焼け野が原となってしまいました。その後、駅前にはバラック小屋が建ち並んでいましたが、戦後、一番最初の公共事業(駅前の区画整理)により、紙屋町の町並みも一変しました。駅から国道への斜めの連絡道路が出来たため、紙屋町は2分の1しか残りませんでした。その2分の1と、斜めの連絡道路を合わせて、戦後一番ということで、一番町と名付けられました。
(参考) 水の都 徳島(徳島藩御城下絵図)武家屋敷と町家 |
案内表示灯
モニュメント
モニュメント
(阿波踊りの女踊りをイメージ)
太陽光発電式時計(高速バスの乗降客に役立てて頂く為、マリンピア沖の洲ライオンズ
クラブの協力を得て設置
歩道街路灯